著者 : 鈴鹿大学講師 高見啓一

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今日の検太郎は、ある中堅どころの私立大学に来ている。有名私大に負けじと、就職率を上げるための検定試験対策に力を入れている大学だ。ここで検太郎はコンサルタント業のかたわら、非常勤講師として簿記検定対策を教えている。
今日の授業が終わった。質問に来るような熱心な学生は少ないが、今日は一人の男子学生が検太郎をつかまえて話をした。進路に悩む雨宮君だ。

雨宮 「検太郎先生!簿記なんて取っても意味ない気がするんですが。」
検太郎  「どうしたん?唐突に。その理由を聞かせてよ。」
雨宮 「簿記検定に突破したからといって、多少は就職に有利かもしれないけど、弁護士や医者みたいな独占業務(※有資格者以外の従事が禁止される仕事)があるわけでもないし。」
検太郎  「たしかにな。それはそうだ。」
雨宮 「俺は平凡な人生じゃなくて、『勝ち組』になりたいんだ。」
検太郎  「勝ち組って?」
雨宮 「年収1千万円以上を稼ぐ人のことさ。」
検太郎  「ふーん。じゃあ俺は違うな(笑)」
雨宮 「そりゃそうでしょ。こんな大学で非常勤講師やってる人なんて。」
検太郎  「おいおい。言ってくれるじゃん(笑)よくわからないけど、誰かと比べて『負け』なんて思ったことないけどなあ。」
雨宮 「俺の先輩は会社を経営しているんだけど、資格なんて持ってなくてもめっちゃ稼いでて・・・そうそう、車はポルシェに乗ってるんですよ。こないだ乗せてもらったんですけど、めっちゃ格好よかった!先生はポルシェ欲しくないんですか?」
検太郎  「維持が大変そうだし、普通の国産車でいいよ(笑)日本経済のためにもなるし。」
雨宮 「(がくっ!)だから先生は勝ち組になれないんですよ。その先輩の会社は、創業3年目で年商10億円ですよ。10億円!ケタ違いの勝ち組ですよ。」
検太郎  「年商・・・つまり売上高10億円ってことだな。利益はどうなってるの?」
雨宮 「えっ?」
検太郎  「簿記の授業で教えたろー。収益(売上)から費用を引いて利益が算出できるんだって。売上だけ見ててもその会社の本質なんて分からんよー。」
雨宮 「あ、そういえば・・・習いましたね。」
検太郎  「あと、貸借対照表で資産・負債の状況も見てみたか?」
雨宮 「あ!」

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数ヵ月後、雨宮君の先輩の会社は会社更生法の適用を受けた。倒産である。自慢のポルシェも売却したそうだ。

雨宮 「先輩の会社、債務超過で財務状態はガタガタだったみたいです。」
検太郎  「かわいそうに。俺も一度ポルシェに乗せてもらいたかったなー。」
雨宮 「なんだ!先生も乗ってみたかったんですか(笑)」
検太郎  「タダで乗れるならね。お金持ちの知り合いは利用しなきゃ(笑)」
雨宮 「はあ。先生にとっては、金持ちも勝ち組も関係ないんですね。敗北感を感じたり、羨ましくなったりしないんですか?」
検太郎  「簿記をやってる副作用かな。『年商』とか『売上』とか聞いても、あんまり驚かないんだよな。だって、俺の授業では普通に、大企業の財務諸表を読んだりするだろ?」
雨宮 「そういえばそうですね。」
検太郎  「簿記の勉強してるとさ、株なんて持ってなくても株式売買の仕組みがわかるし、2級、1級と勉強が進めば、合併やら買収といったダイナミックな企業の動きだって追いかけていくことになる。しかも、勉強して知るだけなら投資リスクは0だ(笑)」
雨宮 「そっか。簿記って地味だと思ってたけど、そういう意味での優越感はあるかも。」
検太郎  「社会のトップ(上流)にいる人たちは色々なリスクを背負っているし大変だよ。俺はリスクは背負わずに、上流の苦労も冷静に分析できるミドル(中流)がいいな。たまにフェラーリに乗せてもらえるチャンスもあるかもしれないし(笑)」
雨宮 「俺、ちゃんと簿記を勉強しようと思う。自分の身は自分で守りたいし。」
検太郎  「そうだな。簿記検定を通じて、自分なりの言葉や判断基準が出来てくれば、世間の流行に惑わされることもなくなるし。何よりも、仕事が終わったら楽しく飲める。勝ち組だかなんだか知らないけど、俺はそれだけで幸せだな。」

 

1年後、日商簿記検定に合格した雨宮君は無事就職も決まったそうだ。離職率も少なく、評判も悪くない中堅商社だ。世間一般の「勝ち組」ではないかもしれないが、雨宮君なりの基準でしっかりと決めた企業である。