わが国を近代国家へと導いた簿記教育


※取材時は久留米市立久留米商業高等学校校長

釣り好きから簿記好きへ

-商業高校で簿記を学んだことがきっかけで高校の教員になったと伺いました。

商業高校に入学して、最初の中間テストの成績がクラスでワーストだったことが、簿記を本格的に学ぶきっかけでした。テストの結果を心配した先輩が簿記を教えてくれたのです。当時、私は勉強があまり好きではなかったのですが、釣りが大好きで、先輩から「大学生は時間に余裕があるから釣りに行ける」と言われ、その気になり(笑)、勉強するようになりました。やがて簿記が好きになり、クラスメイトより上級の検定試験を受験。学校も、大学院(博士前期課程)に進学して簿記と財務会計を研究し、先生の勧めもあって高校の教員になりました。

自宅の蔵書は数え切れず

-ご自宅の蔵は簿記や会計の書物で埋まっているとお聞きしました。

簿記、会計の学者が集まる研究会に参加したところ、他の皆さんは相当の文献を読破されていました。大学の先生方と同じ研究テーマでは太刀打ちできませんから、他の研究者があまり手掛けていない、明治期からの中等商業学校(現在の商業高等学校)における簿記教育の変遷を研究することにしました。

その過程で、どうしてもオリジナルな史料が必要となりました。私の性格が凝り性ということもあって、簿記関係の書籍の蒐集を始め、今も続けています。古書店やインターネットのオークションで、全国の学校の教科書やカリキュラムを集めています。私しか持っていないと思われる書籍も多いので、元の学校にご提供して喜んでいただいたこともあります。蔵の中に何冊あるか、自分でもわからないのですが、床は1トンの重みに耐えられるようになっています(笑)。

ryakushiki
藤井清[1878]『略式帳合法附録 全』
明治11年創立の神戸商業講習所(現在の兵庫県立神戸商業高等学校)の教科書で、福沢諭吉『帳合之法 初編』(単式簿記書)の補助教科書
文部省編輯局[1886]『商業算術書』
アメリカの商業算術書の翻訳書。原著者は、『帳合之法』の原著者と同じであり、簿記と商業算術の重要性がうかがえる。

 

高等商業学校(現在の大学)で使用された簿記の教科書などは、現在でも大学図書館で手に取ることができます。ところが、中等商業学校の簿記教科書は、現在の高等学校図書館に保管されているケースは皆無であり、蒐集の意義は高いと考えています。

資料から浮かび上がる簿記教育の貢献

-資料から、どのようなことがわかりましたか。

日本で近代国家が形成されたのが、明治期以降の資本主義経済体制の時期とすれば、簿記および会計教育がもたらした社会的な意義はあったと考えられます。中等商業学校での、簿記教育を通じた人材育成の観点からは、当時の教育課程にあった商業修身、商業算術、商業(内国)実践(※)等と、簿記教育の融合された知識や技能が、労働力として近代国家を形成する原動力となったと考えます。明治期から昭和初期にかけての中等商業学校出身者の就職先は、家業や企業での第一線でのブックキーパー(帳簿を付ける人材)でしたから、勤勉で正確な記帳処理ができる能力により、信用を得て、社会の発展に寄与したと考えることができます。 (※)商業(内国)実践:企業や官庁の実務を学ぶ教科

簿記・会計の学習が信用・信頼につながる

-簿記を学んでいる方にメッセージをお願いします。

簿記を学んで得た知見は、AI時代を生きる上でのスキルになると期待できます。なぜかというと、簿記・会計を学ぶことは、お金の流れを扱うことなので、人と人とが結びつく時に大切な、信用や信頼の構築につながるからです。

人と人とがつながるためには、それぞれの人間が正直で、信用のおける人物でないといけません。中等商業学校の商業修身の授業では、世の中で、お金を扱いながら活躍するための基本要素として、真面目であること、信用が大切であることが繰り返し説かれてきました。校長自ら教えることが多かったようです。

AIによって数字を算出することはできますが、悪用される危険は残ります。それを防ぐには、実際に人と人とが対面して信用を築くことが大切です。その意味で、私は、公認会計士や税理士の重要性は、今後、さらに高まると思います。

簿記を学ぶのは、検定試験に合格することが目的ではありません。検定を通じて学ぶ意欲を高め、さらに、経済学、統計学などの知識を活用することで、簿記を学んで得た知見はオリジナルなモノになり、経済を観察し、分析する力がつきます。また、簿記を学んだ方々の力で、この世から不正会計などの信用失墜行為がなくなることを願っています。

Profile

江頭 彰Egashira Akira
1959年 福岡県生まれ。佐賀大学大学院工学系研究科博士課程後期修了。博士(学術)。1985年、久留米市立久留米商業高等学校教諭(商業)。その後、久留米市教育委員会指導主事、同校主幹教諭、教頭、校長を経て、2018年4月より現職。日本会計研究学会、日本簿記学会、日本会計史学会、国際会計研究学会、日本商業教育学会所属。