プロ野球選手から公認会計士へ

prof_oku_2(1)

右手にボール、左手に簿記テキスト

-プロ野球を経て会計の道に進まれました。簿記に出会ったのはいつですか。

3歳で野球を始め、甲子園でプレーすることを夢見ていました。中学生の時、地元岐阜県の土岐商業高校に甲子園出場経験のある監督が赴任されたことから、小さい頃からの野球仲間と一緒に進学し、そこで簿記に出会ったのです。

土岐商業では全校生徒が「卒業までに日商簿記2級取得」を目指しており、野球部も例外ではありませんでした。2級を取らないと遠征試合にも行けないので必死に勉強しました。朝と放課後は野球部の練習があるので、できるだけ授業時間中に理解して、あとは列車通学の往復2時間を勉強にあてました。変化球を投げる練習で右手の人差し指と中指でボールをはさみながら、左手に簿記のテキストを持って勉強した時期もあります。

甲子園にはあと一歩で届きませんでしたがプロ野球の阪神タイガースに入団し、いったんは簿記の世界から離れました。残念ながら1軍の試合に出場することはかなわず、23歳で引退。そこから私の新しい人生がスタートしました。

簿記2級を活かして会計士に挑戦

-それからすぐに会計士の道を目指したのですか。

プロ野球引退後は飲食業界で働く人が多く、私もバーやホテルの調理場で働きました。自分が野球の世界しか知らなかったことや、お金を稼ぐことの大変さを痛感したのもこの時期です。別の道を探そうと資格mid_okuに関する本を読んだ時に、会計士に行きあたりました。会計士なら、高校時代に取った日商簿記2級の資格を活かしてビジネスの世界で活躍できると知り、目指すことにしました。

実務経験を積みながら勉強しようと、会計事務所で働こうとしたのですが何カ所受けても採用されず、当時通っていた専門学校で相談したことがきっかけでその学校に勤務することになりました。いったんは公認会計士の短答式試験に合格したものの論文式試験に合格できず、諦めかけたのですが、「野球も会計士も中途半端にしたくない」と思い直し、34歳の年に合格しました。

現在は、監査法人に勤務し、企業の決算や株式公開をご支援する仕事を通じて、改めて、簿記を学ぶことの重要性を感じています。

簿記は経済活動を数字に置き換える唯一の手段です。決して経理担当者だけが使うものではなく、勤務先が企業か国・自治体か、日本企業か海外の企業かや、業種・職種に関係なく必要です。私自身、パンフレット作成の仕事をしていた時に、発注先との交渉で、簿記のおかげで売上、費用、収益、利益などの観点から、発注先が提示した価格が適切かどうかを考えるうえで大変役立ちました。

将来のために時間を使う

スポーツに打ち込む人は、将来に向けてどのような準備が必要でしょうか。

世の中で唯一越えられないのは、自分でつくった壁だと思います。「壁」を作らず、様々な情報を受け入れることが大切です。学生であれば授業に耳を傾けることです。

また、時間を有効に使って欲しいと思います。私自身、働きながら勉強することが大変であること、学生時代は勉強時間が確保されていて恵まれていたことを痛感しています。プロスポーツの選手にも、移動など競技以外に使う時間は必ずあります。大切なのはその時間をどう使うかです。少なくとも、ぜひ、本を読んでほしいと思います。読書の習慣を作れば、引退後、勉強する時にも役立ちます。

簿記を学ぶことも役立ちます。プロのスポーツ選手は、競技に打ち込んできた分、アルバイトの経験もなく、引退後、経済のことを知らないまま別の仕事に就いて失敗することも多いのが実状です。その点、簿記を学び資格を取れば、自分の武器になり、新しい世界でも成功しやすくなります。もちろん、プロ野球の球団経営など、スポーツ界に残ることができた場合にも役立ちます。

人間は知っている範囲のことでしか物事を考えようとしません。だからこそ知識を増やすことが重要です。私の場合、簿記を勉強した経験が会計士試験にチャレンジするきっかけになりました。きっかけを幅広く持っておくことが将来の自分を助けます。ある調査ではプロ野球の選手の7割が引退後の生活に不安を持っているそうです。将来に備えて準備し、不安を減らすことで、選手達が一層競技に打ち込めることを心から願っています。

Profile

奥村 武博Okumura Takehiro
1979年、岐阜県生まれ。岐阜県立土岐商業高等学校卒業後、1998年、プロ野球阪神タイガースに投手として入団。2002年、同球団退団。2007年、TAC株式会社入社。2013年公認会計士試験合格。2014年、優成監査法人入所。2015年、日本公認会計士協会準会員会東京分会幹事