アジア経済の発展に簿記で貢献

ベトナムで日商簿記を普及

-なぜベトナムで簿記の普及に携わっているのですか。

私が国税庁長官の時、ベトナム国家税務総局から「所得税を導入したいので協力してほしい」と頼まれ、長官退職後に所得税と税理士法の創設をお手伝いしました。
それまでベトナムの税収は、日本の消費税にあたる付加価値税や関税が重要な役割を担っていましたが、ASEAN(東南アジア諸国連合)域内の関税撤廃で税収の減少が予想されることなどから、所得税の必要性が高まったのです。ところが、ベトナムでは一部を除いて所得税の仕組がありませんでした。その背景には、簿記が普及していないために所得の把握が難しかった、ということがあります。

所得税導入のための協力として、主に二つのことに取り組みました。一つは、ベトナムの税務当局職員を毎年、日本の税務大学校の研修に招くことで、これは今でも続いています。また、2005年に国税庁長官を退官するのを機に、公認会計士や税理士の方々などと一緒に、ベトナム簿記普及推進協議会を立ち上げました。首都ハノイで大学生や若手社会人を対象に、日本語による複式簿記の授業を始めました。今ではカンボジアでも授業を行っています。日商簿記3級の内容が中心で、2級レベルのクラスもあり、卒業生は1,000人程度にのぼります。皆さん大変熱心に学び、ベトナムに進出している日系企業などで活躍しており、今後は公認会計士として日本で活躍する道もつくりたいと考えています。

 

日本企業が原価計算を重視する理由

-日本企業の経営は、原価計算を重要視するところがアジア諸国の企業と異なる、とおっしゃっていますね。

日本の簿記は特異な発展を遂げてきました。福沢諭吉がアメリカの教科書を翻訳し簿記を紹介した「帳合之法」の内容は、いまでいう商業簿記です。一方、日本で原価計算が普及するようになるのは、第一次世界大戦の時代にさかのぼります。国会で、軍需産業の製品価格が適正かどうかを審議する際に、原価を拠り所にしたことに由来します。特に、第二次世界大戦の当時は企業が国策により統合され、企業間の競争が働かなくなり、市場がなくなったため、価格が適正かどうかは原価で判断するしかなかったのです。

このように原価計算を重視したことは、その後、日本のものづくりが世界で競争力を持つことにつながっていきました。一方、ベトナムをはじめ東南アジア諸国では、原価計算など工業簿記の概念が発達してきませんでした。しかし、日系企業がベトナムで製品を製造し、第三国に輸出するようになった今、モノづくりを行うために必要な原価計算をベトナムで広めることが、極めて重要になっています。

 

簿記は日本企業を育てた宝物

ーアジアで簿記を普及すべきとおっしゃっています。

日本では最近、簿記を軽視する傾向がみられ、大変、残念に思っています。簿記は、単に帳簿を付ける技術ではなく、企業の経営状況を診断するために欠かせない、いわば「経営管理数学」です。私は財務省の主税局で仕事をしていた時に、改めて簿記の重要性を痛感し、資格の学校に通って勉強しましたし、他の幹部も勉強していました。

簿記を勉強して損をすることは絶対にありません。私が企業の社外取締役を務めていられるのも、簿記を理解しているからです。日商簿記3級程度の内容を、中学生の必修科目にすべきだと思います。ちなみに、税務調査でも、ある取引が適正かどうかを調べる時に、原価計算が非常に重要な要素になっています。

簿記は、日本の企業を育てた「宝物」です。これからの日本の国際戦略上、極めて重要な技能であり、アジアをはじめ各国に広めていくべきです。特に、ものづくりを重視する国では、日本の簿記教育で工業簿記を学ぶことが役に立ちます。世界中で簿記を学ぶ人が増えて、簿記を習い始める段階で商業簿記と工業簿記の基礎を身に付けるようになれば、その国の経済発展に貢献し、簿記の国際化が進むと思います。

 

Profile

prof(1)大武 健一郎Otake Kenichiro
1946年、東京都生まれ。東京大学卒。1970年旧大蔵省入省。大阪国税局長や財務省主税局長を歴任、2005年国税庁長官を退官。商工中金副理事長を経て、2008年より認定NPO法人ベトナム簿記普及推進協議会を立ち上げ、理事長としてベトナムで日本語と複式簿記の普及に努めている。